弁護士石井です。
夏季休暇中の交渉で感じたこと。
人は分かり合えないもの。
なのに、誤解して、分かり合えるものと期待してしまうもの。
『「無理」の構造』(細谷功著)のなかでは、人は自分中心に考えてしまうものなので、相手とは見えているものが違うということが書かれています。
つい、自分が見えているものが全体だと思いこんでしまう。
だから、相手と話が噛み合わない。
真の意味での議論は、「見えている人」と「見えている人」との間でだけしか成立しないと言われます。
相手と話をするときは、分かり合えないことを前提にしないといけません。
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『事実VS本能』(橘玲著)の中では、PIAACの次のような結果が提示されています。
①先進国の成人の約半分(48・8%)はかんたんな文章が読めない。
②先進国の成人の半分以上(52%)は小学校3~4年生以下の数的思考力しかない。
③先進国の成人のうち、パソコンを使った基本的な仕事ができるのは20人に1人(5.8%)しかいない。
そのうえで、「話せばわかる」「読んでもらえばわかる」というのはそもそも幻想ではないか
と指摘されます。
見える、見えないというほかに、見る能力が足りていない可能性があるでしょう。
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『捨て本』(堀江貴文著)という本の中では
信用していたはずの相手でも、裏切るときは裏切る。
それは善悪の問題ではなく、人間だから、当然なのだ。100%の信用が保証された人なんて、肉親でも存在するわけがないのだ。
いると信じているとしたら、人間観がおこがましいと言わざるを得ない。
人とは、どれほど複雑で多面的か、という想像力が欠けている。
との記載があります。
あの人はこう、という確定的なものではなく、状況によって変わる複雑な流動的なものであることが指摘されています。
見えているものが違い、見る能力が違い、さらに状況で見方が変わるのであれば、分かりあえるなんて奇跡的です。
夏休みに、 小学館の魔法バトルものかと思って、子供と一緒に読み始めた『マギ』という漫画では、国家やら宗教やら、人の価値観の対立、崩壊、変化まで描かれていて、やはり人々は分かり合えないのではないかと思わされています(まだ途中)。
人々は、分かり合えないがゆえに、争いが起きるのでしょう。
分かり合えないことを前提にしたら、これが少しは減るのではないかとも思います。
というわけで、私自身は、相手と分かり合えるはずがない、話が100%通じているはずがない、ということを前提に動いています。
そうした方がダメージが少ない気がします。
ちなみに、冒頭の交渉は、結果は出ています。
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