弁護士の香崎です。
去る6月5日は、ミッドウェー海戦から70年ということです。先日の朝日新聞で、
「昭和史再訪」という欄で出ていました。
その欄で、この海戦について、
「ミッドウェー島の占領を目指した日本が主力空母4隻を一挙に失った海戦を
思い起こす日本人は多くないだろう。」
と書かれていました。
もう、そうなんでしょうかね。日本の歴史において、あれほど苦い記憶もそうな
いと思うのですが。
これまでの私の印象では、この戦いでは、日本の空母が実に不運なタイミン
グで敵機の攻撃を受け、一瞬にして空母3隻が炎上し沈没してしまったという
ものでした。もちろん、米軍による暗号解読の成果や、それまで連戦連勝だっ
た日本軍のおごりもあっただろうとは思っていましたが。
しかし、今回この欄を読んでいてもう1つ新たな発見がありました。私はこれま
で、日本にとって敵艦隊の発見が遅れたのは、雲のせいで偵察機が敵艦隊を
発見できなかったためと思っていました。しかし、この欄ではこう書かれていま
した。
「米艦隊の真上を飛んだ索敵機は規則に反して雲上を飛んだため発見できず、
空母発見が決定的に遅れた。機長は戦後『敵は来ないだろうと甘く判断してい
た』と回想した。」
何と、敵艦隊発見が遅れたのは、不運ではなく、単なる人為ミスだったのでしょう
か。新聞の書くことなんて100%の信頼は置けませんが。
歴史家のコメントとして「勝てた戦い。索敵など信じられないミスを重ねて負けた」
というのも紹介されていました。まあ、これも異なる意見の歴史家もいるのでしょ
うが。
失敗から学ぶことは多い。成功例と同じか、むしろそれ以上に参考になります。
また、失敗例はそれがなかなか語られないから、貴重です。自分の落ち度によ
る失敗の体験なんて、それが他人の教訓になると分かっていても、簡単には語
る気にならないでしょう。まして、戦争において兵士たちの命が失われているの
なら、なおさらのことです。
ミッドウェー海戦では、現場にいた人の多くは戦死してしまいました。何がこの歴
史的な失敗をもたらしたのか、まだまだ分かっていないことが多いような気がしま
す。
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