弁護士石井です。
私は、厚木市の緑ヶ丘小学校に通っていました。
先日、突如、この小学校のクラス同窓会が開催され、参加してきました。
ほとんどの人が20~30年ぶりという集まり。
意外にみんな厚木近郊に住んでいました。
緑ヶ丘小学校でPTA会長やっていたりして驚き。あと、私の外見は、変わらないランキング1,2位を争っていたらしい(大部分は髪の毛の遺伝子の問題だと思う)。
今回、担任の先生が来る、ということで参加してみました。
自分の人生を振り返って、色々と岐路があります。
そのなかで、この人に会っていなかったら、この道は選んでいなかったかもしれない、という人が何人かいます。
100%導かれるということはないにしても、どっちに進むか微妙、というような岐路で、その人がいたから、10%だけこっちに傾いて、そっちを選んだ、というようなことは、皆さんにもあるかと思います。
人によっては、そんな影響を与えてくれた人を恩師と呼んだりするのでしょう。
自分の人生で、こういう影響を与えた人は、たぶん3人いて、そのうちの一人がこの担任の先生でした。
なので、ひとことお礼でも言ってくるかー、と軽い気持ちで参加してきました。
そしたら、この先生、私だけではなく、クラスメイトの大部分に絶大な影響を与えていたらしかったです。
「最高の先生だったよ」という声や、
完全に導かれて今の仕事に就いたなどの声、
泣き出す人もいて、驚きました。
そんなすげー先生だったのか(汗)。
この先生は、女性教師だったのですが、今では問題になりそうな、男子児童の大半にビンタ食らわせていたというエピソードが出てきました。
みなさん、愛のビンタだった、みたいな好意的な発言。
あまりにも大半の男子が「ビンタされていた」と言い出したのですが、私には全くその記憶がない。
じゃあ、悪さしていない品行方正な子供だったかといえば、そんな訳ありません。
そこで、当時、一番行動を共にしていたであろう友人に、
「俺、殴られた記憶ないんだけど、なんでだろう?」と聞いてみると、
「お前は殴られてなかった。
一緒に悪さしてもさ、なぜか殴られるときにいないんだよ。
お前の嗅覚はすごかった」と言われました。
なるほど、納得。
ルールの中でうまく逃げ回っていたらしい。これなら自分らしい。
12歳の自分に『君たちはどう生きるか』でも読ませないといけませんね。
同級生たちの先生への思いを聞くに、「見ていてくれる」人がいるというのが、子供の頃には大事なのだと分かりました。
最近、動画で解説した本にも書いてあったことでした。
親や教師は子供に対して、見てくれている、という存在であることが大事なのかもしれません。
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